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僕のオールドレンズ・ストーリー

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僕のオールドレンズ・ストーリー
愛用オールドレンズを私的に語る
公開日:2014/05/19

ホールケーキは誇らしげに

photo & text 澤村徹

C Mount Angenieux P.Angenieux Paris 25mmF0.95 M1

OLYMPUS PEN E-P3 + P.Angenieux Paris 25mmF0.95 M1 絞り優先AE 1/100秒 F0.95 ISO1000 AWB RAW スチル用のアンジェニューと同様、シネレンズのアンジェニューも軟調描写が特徴だ。開放では被写界深度がきわめて浅く、幻想的な絵を作りやすい。

四号サイズのホールケーキに、九本のロウソクが灯る。十の位が四本、一の位が五本。ぼくの四十五歳の誕生日だ。部屋の明かりを消すと、オレンジの光がやわらかく広がる。ロウソクの向こうで息子が口を大きく開けていた。誰の誕生日であろうとも、ロウソクを吹き消すのは息子の役目だ。きっとどこの家庭でも、そういうものだろう。

マイクロフォーサーズ機にアンジェニュー25ミリF0.95を付け、息子がロウソクを吹き消す瞬間にそなえる。大口径シネレンズだけあって、ロウソクの灯だけでも開放なら手持ちで撮れる。ロウソクが大きく揺らいだ瞬間、シャッターボタンをそっと押し込む。いつからだろう。このレンズは我が家のホールケーキ担当になってしまった。


OLYMPUS PEN E-P3 + P.Angenieux Paris 25mmF0.95 M1

我が家は年四回、ホールケーキがダイニングテーブルに登壇する。家族三人の誕生日、そしてクリスマス。年四回のホールケーキは、世間的に見て贅沢だろうか。少なくともぼくは、分不相応な贅沢だと思っている。回数の問題ではない。ホールケーキというだけで贅沢なのだ。

梅雨のど真ん中にうまれたぼくは、ホールケーキと無縁の少年時代を送ってきた。近所の友人たちは、誕生日ともなればいわゆるバースデーケーキを買ってもらい、仲のよい友達を呼んでお誕生日会を開く。ぼくが住んでいた街ではそれがごく一般的な誕生日だった。

しかし、食品管理がおおらかだった昭和の時代、梅雨時ともなれば、ケーキや寿司、刺身など、いわゆる日保ちのしない食べ物は、食あたりのリスクが増す。ことの真偽はさておき、そういう理由でぼくは誕生日にケーキを買ってもらえなかった。ホールケーキはむろん、カットケーキもだ。誕生日の象徴ともいえるケーキがないのだから、当然お誕生日会をひらくこともできない。六月生まれの我が身を呪うばかりだ。

ケーキを買ってもらえない代わりに、ぼくは両親にメロンを要求した。メロンはぼくの好物だ。むせかえるような甘さとたっぷりの果汁。安価なプリンスメロンで十分に幸せにひたれた。ただし、誕生日にプリンスメロンではあまりに志が低い。そこでメロンの王様、マスクメロンを要求してみる。むろんその当時、ぼくはマスクメロンを食べたことがなく、スーパーの青果台の一段高いところで、鎮座するそれを眺めた程度だ。しかし、それが特別な存在であることは、子供ながらにピンとくる。いや、子供だからこそ、そういう匂いに敏感なのだ。

果たしてその年の誕生日、待望のそれを冷蔵庫の野菜室で発見した。淡いみどりの球体に、ベージュの網目が走る。憧れのマスクメロン。夕食後、母親がそれを切り分ける。プリンスメロンよりもふたまわり大きく、誕生日にふさわしい迫力だ。スプーンですくい、口に運ぶ。果肉が舌先でとけ、甘みがのどの奥へと広がる。ひとくち、ふたくち、濃い香りがいつまでも鼻孔をくすぐった。それがアンデスメロンだと気づくのは、何年もあとの話だ。





アンジェニュー25ミリF0.95の中古相場は10〜15万円程度だ。ひと頃は20万円以上に高騰した時期もあるが、最近の相場は安定している。
メタボーンズ製CマウントアダプターでE-P3に装着。着脱レバー付きで操作性がよく、最近好んで使っているマウントアダプターだ。

息子がケーキを食べられるようになると、妻は誕生日ごとにホールケーキを買ってきた。これまでの人生でとんと縁のなかったそれが、あたりまえのようにダイニングテーブルの上にのっている。数年に一度、ではない。年に四回もだ。

妻がケーキを切り分けるあいだ、息子の目がらんらんとかがやく。小学校にあがってからというもの、彼はいい笑顔を撮らせてくれない。生意気な視線を向けたり、ヒーローものの妙なポーズをとったりと、レンズを意識する年頃だ。しかし、ホールケーキを目の前にしたときは、いまでも無邪気な笑顔を撮らせてくれる。不思議な感覚だった。たかがホールケーキひとつで、誇らしい気持ちがわいてくる。ホールケーキで父親の威厳を語るのは、さすがにご都合主義がすぎるか。

息子の瞳にピントを合わせて一枚、ケーキの苺に合わせて一枚、ロウソクの灯に合わせてもう一枚。開放時のおぼろげな像のなかで、息子はいつも笑ってる。こいつはホールケーキにコンプレックスを抱かずに生きていくんだろうな。そんなことを思いながらシャッターを切る。

年四回の笑顔。それもけっして永遠ではない。あといくど、ぼくはアンジェニューでケーキを撮れるだろう。親が子供にできることは、本人が思っているほど多くはない。数少ないそのひとつが、ぼくの場合はホールケーキなのだと思う。


OLYMPUS PEN E-P3 + P.Angenieux Paris 25mmF0.95 M1 絞り優先AE 1/80秒 F0.95 ISO200 AWB RAW 総じて穏やかな描写のレンズだが、合焦部のシャープネスは研ぎ澄まされている。夢の中でシビアな現実を突きつけられるような、独特の描写が魅力といえる。

<プロフィール>


澤村 徹(さわむら てつ)
1968年生まれ。法政大学経済学部卒業。オールドレンズ撮影、デジカメドレスアップ、デジタル赤外線写真など、こだわり派向けのカメラホビーを得意とする。2008年より写真家活動を開始し、デジタル赤外線写真、オールドレンズ撮影にて作品を制作。近著は玄光社「アジアンMFレンズ・ベストセレクション」「オールドレンズを快適に使うためのマウントアダプター活用ガイド」、ホビージャパン「デジタル赤外線写真マスターブック」他多数。

 

<著書>


アジアンMFレンズ・ベストセレクション



オールドレンズを快適に使うためのマウントアダプター活用ガイド



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