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僕のオールドレンズ・ストーリー

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僕のオールドレンズ・ストーリー
愛用オールドレンズを私的に語る
公開日:2015/11/02

第6回 電柱を数えていた頃

澤村 徹

Exakta Mount
Meyer Optik
Trioplan 100mmF2.8


α7 + Trioplan 100mmF2.8
絞り優先AE F8 1/400秒 -0.7EV ISO100 AWB RAW
沖に向かって電柱が並ぶ。町が水没したようなどこかSFチックな光景だ。三枚玉ながらも中心部はシャープで、電柱にとまった水鳥まで精緻に捉えている。

海から電柱が生えていた。大海原を沖へ向かい、電柱が一列に行進する。誰もいないはずの沖合いに、電線が一本、どこまでも伸びていく。地球温暖化で水位があがり、都市が水没してしまったような光景。まるで未来人から見た昭和の遺跡だ。文明の末路を垣間見たような不安がよぎる。人が思い描く未来は、どうしていつも憂いを帯びているのだろう。

トリオプラン100ミリF2.8をかまえる。元々安価なトリプレット(三枚玉)だったが、バブルボケがきれいだと話題になり、ここ数年で一気に急騰した。開放でやわらかく滲み、バブルボケ以外にも味わいのある中望遠レンズだ。

ファインダーの中で電柱がおどる。ピントリングをゆっくりとまわす。合焦したところで息を殺し、ていねいにシャッターを切る。ふと苦い記憶が脳裏をよぎる。ファインダーに目をこらす。電柱のブレを押さえ込み、もう一度シャッターを切る。古い記憶がとめどなくあふれ出た。



15枚羽根のほぼ円形の絞りだ。絞りリングを持ち上げて任意の絞り値にセットすると、プリセット絞りとして動作する。

その頃のぼくは電柱を数えながら歩いていた。大学を卒業し、会社勤めをしていた頃の話だ。最寄り駅までの十五分、路上の電柱を数えながら駅に向かう。テレビで観たのか雑誌で読んだのか、あるマラソンランナーが「苦しいときは電柱を数えながら走る」と言っていた。あの電柱まで走ろう。次の電柱までがんばろう、と。サラリーマン時代のぼくは、まったく似たような状況だった。次の交差点まで電柱を数えよう。あのコンビニまで数えよう。奥歯を噛みしめしかめっ面で、そんなことを思いながら電柱を数えた。そうでもしないと、会社にたどり着く自信がなかった。

仕事に不満があったわけではない。職場の先輩たちもやさしかった。ただ、我ながらあきれるほど仕事ができない。オフコンのオペレーションはいうまでもなく、コピー機の使い方、ファックスの同報送信など、初歩的な事務がままならない。誰もが機械的にこなす作業が、どういうわけかぼくは苦手だった。

手順をおぼえればいいだけだ。そうと頭ではわかっていても、からだが拒絶する。「この仕事はこういう流れでやりなさい」と先輩が教えてくれるのだが、もっと効率よくできるような気がしてアドバイスを鵜呑みにできない。そのくせ効率的な作業方法が思い浮かぶわけでもなく、自分の無能ぶりが日々露呈していく。その頃のぼくにとって会社に行くことは、自分の無能さを確認する作業に他ならなかった。

その鬱屈を文章書きにぶつけた。学生の頃から文章を書いていたが、社会人になって執筆量が急増する。小説、エッセイ、メモ的な雑文。なんでもいいから書き散らした。小説の新人賞に応募すれば予選くらいは通過する。会社の仕事はできないが、文章なら他の人よりもうまく書ける。そう息巻いてみたところで、誰も見向きもしない。一銭にもならないプライドばかりが鋭敏になり、鬱屈はますますつのる。サラリーマンの自分は仮の姿で、本来成るべき自分があるはずだ。根拠のない自信、ノーアイディアの将来像、その狭間で無為に時間ばかりがすぎていった。

やりたい事とできる事、このギャップに身を焦がすのは、いわば若い世代の通過儀礼だ。大きく羽ばたくには膝を曲げ、力を蓄えなくてはならない。問題はどこで羽ばたくか、だ。

いつの頃からか、本気で文章を生業にしたいと思うようになっていた。帰宅後の文章書きはますます加熱する。書き上がったものを編集者に見てもらい、雑誌に小さな記事を書く。1/2ページが1ページになり、レビュー担当から特集担当になり、少しずつ時間をかけ、実績を積み上げていく。月に数ページだったオファーは10ページを超えるようになり、会社勤めとの二足のわらじも限界が見えてきた。会社を辞め、フリーランスのライターになる。電柱を数える生活は、四年半で終止符を打つことになった。



本レンズは1950〜1960年代にかけて製造された。3群3枚というシンプルなレンズ構成で、一般にトリプレット(3枚玉)と呼ばれている。


元々安価な中望遠レンズだったが、最近はバブルボケが人気で中古相場は高騰気味だ。10万円越えもめずらしくなく、価格が落ち着くのを待ちたいところだ。
本レンズはM42マウントやエキザクタマウントで提供された。この個体はエキザクタマウントで、レイクォールのEXA・TOP-SαEでα7に取り付けている。


トリオプランをおろし、裸眼で電柱群をながめる。あの頃の自分にひと言いってやりたい。おまえは天職と思って物書きの世界に飛び込んだだろう。しかし、やりたい事とできる事の齟齬は思った以上に根が深い。意気揚々と会社を辞めたものの、調子がよかったのは最初の三年。あとは下降線をたどり、仕事のないドン底生活のさなかに結婚し、子供が生まれ、紆余曲折の果てに写真業界に流れ着く。原稿を書いているよりも写真を撮っている時間の方が長いなんて、物書き志望のおまえに想像できるか?羽ばたく場所をまちがえたんじゃないのか!?

なぜ電柱の群れは沖へつづいているのだろう。沖合いに送電する理由などあるのだろうか。種明かしをすると、沖合いに密漁の監視小屋があり、そこに送電するための電柱にすぎない。どんな不思議なことにも理由がある。サラリーマン発ライター経由フォトグラファー行きの人生。こうも大回りした理由がわかるのは、いったい何年後のことだろう。




α7 + Trioplan 100mmF2.8
絞り優先AE F2.8 1/320秒 ISO100 AWB RAW
トリオプランと言えばバブルボケだ。近接でピントを合わせ、背景と大きく距離をとる。背景の点光源がきれいにバブルボケとなって現れる。

<プロフィール>


澤村 徹(さわむら てつ)
1968年生まれ。法政大学経済学部卒業。オールドレンズ撮影、デジカメドレスアップ、デジタル赤外線写真など、こだわり派向けのカメラホビーを得意とする。2008年より写真家活動を開始し、デジタル赤外線写真、オールドレンズ撮影にて作品を制作。近著は玄光社「アジアンMFレンズ・ベストセレクション」「オールドレンズを快適に使うためのマウントアダプター活用ガイド」、ホビージャパン「デジタル赤外線写真マスターブック」他多数。

 

<著書>


アジアンMFレンズ・ベストセレクション



オールドレンズを快適に使うためのマウントアダプター活用ガイド



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