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銀塩手帖

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銀塩手帖
フィルム、銀塩写真に関する情報を記録していきます。
公開日:2016/04/26

日本カメラ博物館 特別展「ザ・フラッグシップ・カメラ展」

photo & text 中村文夫


2016年4月5日から7月3日まで日本カメラ博物館にて、特別展『カメラメーカーの威信と挑戦 ザ・フラッグシップ・カメラ展』が開催されている。

フラッグシップを直訳すると旗艦。艦隊の司令官が乗船する艦船を示す海軍用語で、指令官の階級を示す旗をマストに掲げたことからこう呼ばれている。日本では日露戦争の日本海大海戦において東郷平八郎司令長官が乗船した「三笠」が有名である。ここから派生してカメラの世界では各メーカーが発売する最上位機をフラッグシップ機と呼ぶ習慣が誕生した。
今回の展示では、カメラが精密機械としての完成度を高めた1930年代以降の製品にスポットを当て、フラッグシップ機の黎明期から現在に至るまでの名機を一堂に展示。まさに新旧フラッグシップ機のサミットというべき特別展だ。

展示に合わせて6月11日(土)には、日本カメラ博物館 運営委員 市川 泰憲による講演会も開催される(詳しくは記事の最後をご参照のこと)



フラッグシップ機とは?

カメラ博物館の図録によるとフラッグシップ機という言葉がカメラの世界で始めて使われたのは1987年。児島昭雄氏が「日本カメラ」8月号に寄稿した「老朽化してきた旗艦─真の高級カメラ待望論」が初出であるという。やがてこれがフラッグシップ機という英語に置き換わりカメラ誌やメーカーの広告で盛んに使われ出す。また商品ラインアップの頂点に位置するだけではなく、フラッグシップ機にはその名に見合った機能や信頼性が求められることも。さらに場合によっては販売価格も加味されるなど、フラッグシップ機の間口は広く、その解釈はまちまちだ。

カメラに関わり始めた年代によって意見が大きく異なることも多い。余談になるが、フラッグシップ機と聞いて私の頭に思い浮かぶのは自分と同じ歳のニコンF、そして学生時代に憧れたキヤノンF-1やニコンF2などのプロ用最高級機だ。これらの製品が現役だった時代、フラッグシップ機という呼称はなかったが、1959年生まれの私にとってフラッグシップ機はこれしかない。会場に並んだ数々のカメラの中から、自分だけのフラッグシップ機を探し出すのも、この特別展の醍醐味と言えるだろう。



ハンザキヤノン(1935年)精機光学工業(現キヤノン)
国産初の小型精密カメラ。当時はカメラというだけで庶民の手が届かない“超高級品”だった。いわば、すべてのカメラが「フラッグシップ機」の要素を持っていたわけだ。



ニコンI型(1948年) 日本光学工業(現ニコン)
第二次世界大戦後、ニコンが最初に発売したカメラ。後継機であるS型の信頼性がライフ誌のカメラマンに認められ、後に一眼レフのニコンFに発展する。報道現場の酷使に耐えるプロ用最高級機という意味でフラッグシップ機の原点と言えるだろう。



ニコンSPモータードライブ(1957年) 日本光学工業(現ニコン)
ニコンのレンジファインダー機の最高峰。当時のモータードライブはプロカメラマンしか使わない特別なアクセサリーだった。



キヤノン7S 50ミリF0.95(1961年) キヤノンカメラ(現キヤノン)
0.95という驚異的な開放F値の標準レンズが話題になったキヤノン最終期のレンジファインダー機。


ライカM3(1954年)エルンスト・ライツ
他メーカーに比べるとライカは機種数が少ない反面、プロカメラマンの要望により仕様変更したモデルも多い。また販売価格も高価で、その面だけ捉えるとすべての機種がフラッグシップ機扱いになってしまう。そのためシリーズ中の最高級機という条件が当て嵌めにくい。いずれにしても日本のカメラメーカーがライカを目標にカメラ作りをしてきた経緯を考えると、別格の存在と言えるかも知れない。




右から、テレローライフレックス (1959年)、 ワイドアングルローライフレックス(1961年)フランケ&ハイ デッケ、マミヤフレックス(1956年)マミヤ光機。
二眼レフの最高峰といえば、やはりローライフレックスだろう。なかでも望遠レンズや広角レンズ付のローライフレックスはいかにもプロ好みでフラッグシップ機と呼ぶに相応しい。またマミヤフレックスはレンズ交換式を採用。一台のボディで多彩なレンズが使えるなど、ある意味ローライフレックスを越えた存在である。



右から、ハッセルブラッド500C(1957年)ビクターハッセルブラッド、ゼンザブロニカ(1959年)ブロニカカメラ(現タムロン)
ハッセルブラッドは誰もが認める中判一眼レフのフラッグシップ機。独自のアイデアでこれに挑んだのが日本のゼンザブロニカで、クイックリターンミラーをはじめ、本家のハッセルブラッドにない機能満載だ。



ニコンF(1959年) 日本光学工業(現ニコン)



キヤノンフレックス(1958年)キヤノンフレックスR200(1960年)キヤノンカメラ(現キヤノン)



35ミリ一眼レフにとって、カメラ本体の性能だけでなくアクセサリー群の充実もフラッグシップ機の大切な条件だった。 なかでもニコンF、キヤノンF-1シリーズのアクセサリー群は膨大で、数百種類におよぶアクセサリーが用意された。



キヤノンハイスピードモータードライブカメラ(1977年)、キヤノンカメラ(現キヤノン)ニコンF2 HM(1978年)日本光学工業(現ニコン)
スポーツ取材用に開発された高速モータードライブカメラ。まさにフラッグシップ機の中のフラッグシップ機だ。



カメラの精密さをアピールするために製作されたキヤノンニューF-1の分解ディスプレー



キヤノンニューF-1のモックアップ。初期段階ではボディカラーがシルバーだった。



ニコンF3(1980年)日本光学工業(現ニコン)と派生モデル
ニコンF3には、ノーマルモデルほか、アイピースを長くしたF3HP、巻き上げレバーやセルフタイマーなどを省くとともにペンタプリズムをチタン製カバー強化したF3HP、AF機能を搭載したF3AFなど、さまざまモデルがある。



右から、ニコンF2チタン(1979年)、ニコンF3T(1982年)日本光学工業(現ニコン)、オリンパスOM-4T(1986年)オリンパス、ペンタックスLXチタン(1994年)旭光学工業(現リコーイメージング)
信頼性を高めるため、ボディ外殻をチタンに変更したモデル。実用性だけでなく、その機種のステイタスを高める意味もあった。



右から、ミノルタSRM(1970年)ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)、アサヒペンタックスES(1971年)、アサヒペンタックスK2DMD(1976年)旭光学工業(現リコーイメージング)



ミノルタX-1(1973年)ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)
1970年代、モータードライブ対応がフラッグシップ機の条件に加わると、各メーカーがこぞってこれに対応。また信頼性という観点から、当時のプロカメラマンは電子機器を組み込んだカメラを敬遠する傾向が強かったが、時代とともに電子制御によるフラッグシップ機の比率が高まってゆく。




ズノー(1958年)ズノー光学
完全自動絞りを世界で始めて実現。



ミランダT(1955年)オリオン光学
日本で初めてペンタプリズムを搭載。世界初、日本初を掲げて華々しく登場した国産一眼レフ。これらのカメラが先駆的な役割を果たしたからこそ、今日のフラッグシップ機が誕生した。



右から、ミノルタα7000(1974年)、ミノルタα9000(1975年)、ミノルタα9Xi(1992年)、ミノルタα9(1998年)ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)
α7000は一眼レフの世界に革命を起こしたAF機。ポジション的にはフラッグシップ機ではなかったが、後にα9000、α9に発展し、フラッグシップ機の仲間入りを果たす。



ニコンF4(1988年)ニコン
電子シャッターやAEなどの新機能がフラッグシップ機に搭載されるまでには、しばらく時間が必要だったが、AFは意外と早く採用された。なおF4の後継機であるF5まではファインダー交換式だったが、ボディの防塵防滴機構を高めるためF6から固定式になる。 またライバルのキヤノンEOS-1は最初からファインダー固定式だった。



ニコンF6(2004年)ニコン、キヤノンEOS-1V(2000年)
フィルムカメラ最後のフラッグシップ機。2機種とも現行商品だ。



キヤノンの歴代のオリンピック記念モデル
オリンピックなど世界的なイベントで公式カメラとして採用されることも、フラッグシップ機のステイタスと言えるだろう。



毎日新聞社で実際に使用されたキヤノン ニューF-1。現場の要望により露出計の明かり取り窓にプリズムを追加し視認性を高めている。



600ミリF5.6を装着したニコンF2。ボディにはモータードライブと250カットの撮影ができる長尺マガジンが付いている。



400ミリF2.8レンズを装着したキヤノンEOS-1DXマークII
巨大な大口径超望遠レンズが揃っていることもフラッグシップ機の証。特に太陽熱の影響を避けるため鏡胴を白く塗ったキヤノン製レンズは、「白レンズ」として有名だ。



デジタル時代を迎えた各社のフラッグシップ機。





コンタックスNデジタル(2002年)京セラ
有効629万画素のフルサイズセンサーを搭載したデジタル一眼レフカメラ。
最近のデジタルフラッグシップ機のイメージセンサーは、機動性を重視したAPS-Cサイズやマイクロフォーサーズサイズと、画質重視のフルサイズに別れているが、初期の段階ではフルサイズというだけで、特別扱いだった。



各社のフラッグシップ機のカタログの表紙を展示したコーナー。カメラは買えなくても、カタログを眺めてため息を付いていた人も多いのではないだろうか?



 



日本カメラ博物館 特別展
「カメラメーカーの威信と挑戦 ザ・フラッグシップ・カメラ展」

<展示内容>
各社が製造したフラッグシップ機、各機種のカメラカタログ、フラッグシップ・カメラで撮影された写真などを時代ごとに展示。 (展示総数約200点を予定)

開催期間:2016年4月5日(火)〜7月3日(日)
開館時間:10:00〜17:00
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日の火曜日)※5/2(月)は開館
住所:〒102-0082 東京都千代田区一番町25番地 JCII 一番町ビル
入館料:一般 300 円、中学生以下 無料/団体割引(10名以上)一般 200 円


【イベント情報】

日本カメラ博物館講演会
「フラッグシップカメラあれこれ」

日時:2016年6月11日(土)13:00〜15:00
講師:市川 泰憲 (いちかわ やすのり)
日本カメラ博物館運営委員、元月刊『写真工業』編集長

本講演会では、ニコンF一桁シリーズ、キヤノンF-1/EOS-1シリーズの技術的変遷、さらには かつて存在した小西六、ミノルタ、ミランダカメラ、ペトリカメラ、コンタックスに加え、フラッグシップを目指してもなりえなかった機種など、歴史の流れの中に、私見を交えてフラッグシップ機のさまざまな逸話を紹介します。なお当日は、「ニコンF」、「キヤノンF-1」の希少モデル、1970年代に国の威信をかけて製造された中国製カメラ “紅旗”の知られざる新情報について本邦初公開します。

受講料     300円(日本カメラ博物館友の会会員・フォトサロン友の会会員は無料)
応募方法     日本カメラ博物館にて直接受付、または電話にて受付
お申込み・お問合せ先:03-3263-7110

<関連サイト>
日本カメラ博物館 特別展
http://www.jcii-cameramuseum.jp/museum/special-exhibition/20160405.html

日本カメラ博物館
http://www.jcii-cameramuseum.jp/



中村 文夫(なかむら ふみお)

1959年生まれ。学習院大学法学部卒業。カメラメーカー勤務を経て1996年にフォトグラファーとして独立。カメラ専門誌のハウツーやメカニズム記事の執筆を中心に、写真教室など、幅広い分野で活躍中。クラシックカメラに関する造詣も深く、所有するカメラは300台を超える。日本カメラ博物館、日本の歴史的カメラ審査委員。
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