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写器のたしなみ

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写器のたしなみ
日本カメラ博物館 学芸員の井口留久寿(いのくちるくす)=Inoctiluxが、国産、海外の歴史的に意義のあるカメラを紹介。個人的な話も少々。
公開日:2025/04/30

フォトグラフ・ド・ポシュ/ポラロイドランドカメラ

Text:井口留久寿 (いのくちるくす) Inoctilux

Photo:CAMERA fan編集部
 

メゾン・デュブロニ「フォトグラフ・ド・ポシュ」

1860(万延元)年に製造された「フォトグラフ・ド・ポシュ」(Photographie de Poche)はフランスのジュール・ブルダン(Jules Bourdin)が設立したメゾン・デュブロニの製造で、そのため「デュブロニ」(Dubroni)の名前でも知られる。
このカメラ「デュブロニ」の名称はブルダンの文字列の入れ替え(アナグラム)に由来する。そして「ポシュ」(Poche)には「ポケット」や「袋」という意味がある。その名のとおりこのカメラは内部で現像作業を行うことができる。



カメラ本体


カメラ本体中央部はガラス製
*この写真では、ガラスパーツが目立つように背後よりLEDライトを光らせています。

このカメラで使用するのは「コロジオン湿板」という感光材料で、撮影の現場で感光液を塗布し、湿度を保持した状態(湿板)で撮影から現像作業まで行わなくてはならない。この特性を応用し、一連の作業をカメラの内部で済ませるという発想の転換がおもしろい。
まず、カメラ背面にコロジオン湿板の支持体となるコロジオンを塗布したガラスをはめる。つぎにカメラ上部にある穴から付属のスポイトで薬品(硝酸銀溶液)を注入して、カメラを傾け薬品をガラス板に塗布して感光性を持たせて撮影する。


薬品の注入・排出口

撮影後は現像液、定着液を順番に入れて処理する。カメラ内に薬品を投入するため、このカメラのボディ内部は薬品が浸透しないようにガラスもしくは陶器でできており、収納箱には薬品壜やスポイトなどが同梱されている。これが「ポシュ」(Poche)の由来である。


カメラ、薬品、用品類が収まる収納箱


ポラロイド「ポラロイドランド95」



カメラ内部で現像作業を行うというのは、ポラロイドに代表されるインスタント写真も同様である。その最初のカメラ「ポラロイドランド95」は1948(昭和23)年に発売された。外観的には1910〜20年代に流行した大型の蛇腹式カメラのような形状をしており、「ピクチャーロール」と呼ばれるロールフィルム型で剥離して画像を得るフィルムを使用していた。


裏蓋を開いたところ。ここにピクチャーロールを装填。


ポラロイド「スウィンガー」


簡単な構造で親しみやすい形状

そこから1965(昭和40)年にボックスカメラのような形状の「スウィンガー」シリーズが登場。これは「カラーパック」や「EE」といったシリーズに展開し、その簡単な操作法と相まって高い人気を博した。
 

ポラロイド「SX-70」


特徴的な構造の一眼レフカメラ


一眼レフカメラながらここまで薄く畳める

さらに1971(昭和46)年に登場した「SX-70」は一眼レフ方式のファインダーを装備し、薄く折りたためるサテンクロームのボディ構造に革張りを施した外装の斬新さで登場。随所が画期的で「アラジン」の愛称で呼ばれ、注目を集めた。
ダゲレオタイプにはじまる銀塩方式の場合は、感光材料が受けた光の情報を薬品による現像処理で映像化していた。現在では撮像素子が受けた情報を電子的に処理するためにカメラの中に現像エンジンが内蔵されている。これも現像処理機構内蔵のカメラということができる。

【いのくちるくすから一言】
 

フジフイルム インスタックスミニ 10(チェキ)

「デュブロニ」で用いられたコロジオン湿板技法は1850(嘉永3)年にブランカール・エヴラール(Louis Désiré Blanquart-Evrard)が鶏卵紙を発明したこと、それから1854(安政元)年にウジェーヌ・ディスレリ(André Adolphe-Eugène Disdéri)が完成した鶏卵紙を使用する「カルト・ド・ヴィジット」(Carte de Visite=名刺写真)と呼ばれる小型の写真プリントで大いに普及しました。その名のとおり「名刺」として交換や収集の対象となり、専用のアルバムも販売。少し前まで流行した「プリント倶楽部(プリクラ)」に代表されるシールプリントの交換とまったく同じように人気を博しました。
「ポラロイド」はその開発者エドウィン・ランド(Edwin Herbert Land)が娘の「なぜ写真をすぐに見られないの?」という問いに答えたことがきっかけと言われています。その後、デジタルカメラ等が普及し、通信技術が発達して画像の共有も簡単になった現在でも、「チェキ」は独自の役割を担っています。
それは撮影した写真をその場で共有することで「モノとしての写真」の存在感が際立っているからなのでしょう。画像データがメールだとするならば、プリントした写真は手紙。手渡されること、受け取ること。その嬉しさが、物理的ではない重さを伴って喜ばれているのだと思います。

協力:日本カメラ博物館
https://www.jcii-cameramuseum.jp/
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井口留久寿(いのくちるくす) Inoctilux


本名は井口芳夫、1972(昭和47)年福岡市出身。日本大学芸術学部写真学科卒業後、財団法人日本写真機光学機器検査協会(現・日本カメラ財団)に就職し、同財団が運営する日本カメラ博物館の学芸員として勤務。カメラと時計の修理が趣味だが、その趣味をひと段落するため車を入手するも修理に追われ、資料と工具と部品が増えるばかり。

ウェブサイト:日本カメラ博物館
https://www.jcii-cameramuseum.jp/