初期の写真術は同時多発的に研究が行われていた。その中のひとつが「ダゲレオタイプ」で、ダゲールが完成してフランスの科学アカデミーで発表された写真技法である。「ダゲール」とはルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(Louis Jacques Mandé Daguerre)という人名である。ダゲールは、最初に写真的に画像を固定することに成功しながらも研究半ばで他界したニエプス(Joseph Nicéphore Niépce)と共同で写真を研究していた。そして、その成果をアカデミーで発表したのは、数学者であり物理学者であり天文学者、そして政治家でありアカデミー会員だったアラゴー(Dominique François Jean Arago)だった。 こうした経緯こそあれ、それまでの撮影機材は「実験器具」だったものが「ダゲレオタイプ」が発表された際に一般向けの「商品」(製品)として販売された。ということで、「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」を「最初の市販カメラ」とするのは問題がない。
カメラには最初からレンズが装備されていた
さらに、ときおり「カメラの原点はピンホールカメラ」と記載しているものがある。これも正しいとはいえない。たしかに外界を観察したり絵画制作に使用したりする光学機器「カメラオブスクラ」の最初はピンホールの原理を使用している。しかし「カメラオブスクラ」にレンズを装着することは16世紀にカルダーノ(Gerolamo Cardano)やポルタ(Giambattista della Porta)によって紹介されており、その装置(=レンズ付きのカメラオブスクラ)を応用して画像を残す(=写真を撮影)ようになっているのだから、「写真を撮るカメラ」には最初からレンズが装備されていたことになる。そう考えると「カメラの原点はピンホールカメラ」と言い切ることには疑問がのこる。
シャッターはレンズ前に蓋が装着されているのでそれを使用することも可能だが、感光材料(この場合は銀めっきした銅板に感光性を与えたもの=銀板)を入れる取枠(ホルダー)の前面に開閉する扉が装着されており、その開閉で露光することが、同時に販売された書籍“Historique et description des procédés du daguerréotype et du diorama”(ダゲレオタイプとジオラマの歴史と操作法/通称:ダゲレオ教本)にも記されている。
ここで注目すべきカメラがオーストリアのフォクトレンダー(Voigtländer)社が1841(天保12)年に発売した「フォクトレンダー・ダゲレオタイプカメラ」である。 現在もブランド名が継承されているフォクトレンダー社は1756(宝暦6)年にオーストリアのウィーンに創業した「世界最古の光学メーカー」として知られる。このカメラに装着されたレンズは1840(天保11)年に数学者のペッツバール(Josef Maximilian Petzval)が設計した、数学的計算に基づいた世界初の写真用レンズで焦点距離は149mmで開放口径値はF3.7とされる。そのレンズも興味深いが、さらに関心を抱くのは総金属製であることと、特徴的な形状である。これは、感光性を帯びた銀板を装填したマガジンを回転装着(ねじ込んで)して撮影することから、その固定位置に制限されないことや人物写真用なので、円形でも問題がないということが理由とされている。