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写器のたしなみ

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写器のたしなみ
日本カメラ博物館 学芸員の井口留久寿(いのくちるくす)=Inoctiluxが、国産、海外の歴史的に意義のあるカメラを紹介。個人的な話も少々。
公開日:2025/03/26

ジルー・ダゲレオタイプカメラ/フォクトレンダー・ダゲレオタイプカメラ

Text:井口留久寿 (いのくちるくす) Inoctilux

はじめに

日本カメラ博物館で学芸員として勤務しています。というと「何でも知っている」と思われがちですが、それは少し違います。
学芸員の職務は「資料の収集、調査保存、啓蒙普及」ですが、学芸員の「調査」とは「歴史や分野の中での位置付け」が主で、いわゆる「くわしい」とは異なります。なにより、調査の際に目を通すのは専門家や愛好家の方々が記された資料ですから、そうした方々には到底かなわないのが実際です。
このような仕事上の部分とは別に、個人的にカメラが好きで、気が付けば今年で50年、年齢からすると実に人生の94%をカメラと遊んでいます。専門家や愛好家には到達できないまま時は流れ、「仕事は生活を支え趣味は人生を支える」と思える年齢に達してきたとき、自分の中で双方を繋いでいる「カメラ」について少し見る目が変化してきました。
この連載、「写器のたしなみ」では「学芸員の私」と「遊んでいる私」が、歴史的に重要な位置をしめる写器(カメラ)について「たしなみ」という視点で紹介できればと考えています。
それでは、最初の写器にご案内いたします。


Photo:CAMERA fan編集部


ダゲレオタイプカメラ(1839年/フランス)

「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」は1839(天保10)年にジルー商会から発売された市販最初のカメラである。このカメラとその技法であるダゲレオタイプについて書かれたものを読むとき、仮にそこに「写真は1839年にダゲールによって発明された」と記されていたら正しい記述とはいえない。なぜならば「ダゲレオタイプは1839年に発表された写真技法」であり「ダゲールが完成した写真技法」だからである。

初期の写真術は同時多発的に研究が行われていた。その中のひとつが「ダゲレオタイプ」で、ダゲールが完成してフランスの科学アカデミーで発表された写真技法である。「ダゲール」とはルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(Louis Jacques Mandé Daguerre)という人名である。ダゲールは、最初に写真的に画像を固定することに成功しながらも研究半ばで他界したニエプス(Joseph Nicéphore Niépce)と共同で写真を研究していた。そして、その成果をアカデミーで発表したのは、数学者であり物理学者であり天文学者、そして政治家でありアカデミー会員だったアラゴー(Dominique François Jean Arago)だった。
こうした経緯こそあれ、それまでの撮影機材は「実験器具」だったものが「ダゲレオタイプ」が発表された際に一般向けの「商品」(製品)として販売された。ということで、「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」を「最初の市販カメラ」とするのは問題がない。


カメラには最初からレンズが装備されていた

さらに、ときおり「カメラの原点はピンホールカメラ」と記載しているものがある。これも正しいとはいえない。たしかに外界を観察したり絵画制作に使用したりする光学機器「カメラオブスクラ」の最初はピンホールの原理を使用している。しかし「カメラオブスクラ」にレンズを装着することは16世紀にカルダーノ(Gerolamo Cardano)やポルタ(Giambattista della Porta)によって紹介されており、その装置(=レンズ付きのカメラオブスクラ)を応用して画像を残す(=写真を撮影)ようになっているのだから、「写真を撮るカメラ」には最初からレンズが装備されていたことになる。そう考えると「カメラの原点はピンホールカメラ」と言い切ることには疑問がのこる。
 

「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」には1群2枚構成(2枚のレンズが貼り合わせられ1つの群を構成している)のレンズが装着されている。このレンズはフランスの光学機器製造業者シュバリエ(Charles Chevalier)が製造した。カメラの本体は入れ子式になった箱で構成されており、挿入した後部の箱を前後に移動させて焦点調節をおこなう。



カメラ後部のピントグラス。斜めになっている部分には鏡があり、上から画像を確認することも可能。


品質を保証する旨が記されたプレートには、ダゲールのサインとシーリングスタンプ(蝋封)がある。

シャッターはレンズ前に蓋が装着されているのでそれを使用することも可能だが、感光材料(この場合は銀めっきした銅板に感光性を与えたもの=銀板)を入れる取枠(ホルダー)の前面に開閉する扉が装着されており、その開閉で露光することが、同時に販売された書籍“Historique et description des procédés du daguerréotype et du diorama”(ダゲレオタイプとジオラマの歴史と操作法/通称:ダゲレオ教本)にも記されている。


銀板ホルダー(レプリカ)をカメラ内部側からみたところ。撮影時には前面の扉を開放して銀板が露出する。


銀板ホルダー(レプリカ)をカメラ背面側からみたところ。カメラ内部側の扉が閉じている状態のため、扉を開放するためのレバーが背面に出ている。


“Historique et description des procédés du daguerréotype et du diorama”(ダゲレオタイプとジオラマの歴史と操作法/通称:ダゲレオ教本)に掲載されているカメラの構造を示す図版。
 

ダゲレオタイプカメラの撮影時間と開放絞りとISO感度は?

よく「撮影時間にどれくらいの時間を要したのか」と聞かれるが、これは撮影時の天候や使用機材に左右されるので簡単には答えられない。ダゲレオタイプのISO感度は0.002~0.01程であり、また「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」の場合には装着レンズの開放口径値がF17程度ということもあって10分程度は要したと考えられるが、感光性を上げる方法も発表されたことで1840年代初頭には数秒での撮影が可能となったとされる。


ビアンキ・ダゲレオタイプカメラ



ジルー・ダゲレオタイプカメラとそっくり。ジルーと同じ通りに仕事場を持っていたビアンキが製造したカメラ。ジルー・ダゲレオタイプカメラの木製部分は、ビアンキが製造していた。




 

フォクトレンダー・ダゲレオタイプカメラ(1841年/オーストリア)


 

世界最古の光学メーカーが開発した美しき金属製カメラ

ここで注目すべきカメラがオーストリアのフォクトレンダー(Voigtländer)社が1841(天保12)年に発売した「フォクトレンダー・ダゲレオタイプカメラ」である。
現在もブランド名が継承されているフォクトレンダー社は1756(宝暦6)年にオーストリアのウィーンに創業した「世界最古の光学メーカー」として知られる。このカメラに装着されたレンズは1840(天保11)年に数学者のペッツバール(Josef Maximilian Petzval)が設計した、数学的計算に基づいた世界初の写真用レンズで焦点距離は149mmで開放口径値はF3.7とされる。そのレンズも興味深いが、さらに関心を抱くのは総金属製であることと、特徴的な形状である。これは、感光性を帯びた銀板を装填したマガジンを回転装着(ねじ込んで)して撮影することから、その固定位置に制限されないことや人物写真用なので、円形でも問題がないということが理由とされている。


撮影時の形態。左側には銀板を収めたマガジンが装着されている。右側がレンズ面。


銀板とマガジン。この円形の板に写真が写る。


ピント確認時の形態。マガジンを取り外して、ファインダーが装着されている。


ファインダー


始まりから変わらない、カメラの基本構造

ダゲレオタイプのカメラは歴史的意義や背景だけに注目すると古色蒼然とした機材だが、「レンズ」、「ボディ」、「感光材料」というカメラの構成は、感光材料が銀板はじめ銀塩であっても電子であっても変わりがない。つまり、私たちが普段使用しているデジタルカメラはもちろん、世界的にもっとも用いられている撮影機器と言ってもよい携帯電話にも「高度に発展したダゲレオタイプカメラ」が装備されているのだと思うと親しみがわくのではないだろうか。

【個人としてのコメント】
よく説明の際にも言っているのですが、撮影するために銀板(ダゲレオタイプ)を使用するから「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」なのであって、もし仮にデジタルバックを装着すれば「ジルー・デジタルカメラ」になる。これがカメラの面白いところです。
それはさておき、ダゲレオタイプの画像というのは実に興味深いものがあります。書籍やWebでも、銀板写真を紹介する際には映り込みを避けるために黒、白、グレー等の背景で撮影するので、なんともベッタリとした金属質の板のように見えてしまうのが残念です。
実物は撮影対象が鏡の中に閉じ込められているような印象で、しかも画像の緻密さと相まって、より「鏡の中の存在」という印象が強まります。そして、それを鑑賞している自分の顔も同位相にあるように見えるので、どこまでが現実なのか一瞬分からなくなるようにすら感じます。実際に見てみると「写真に写ると魂が吸い取られる」といった先人の言葉が大げさではないということがわかるでしょう。
とはいえ銀板写真は画像を構成する組織が脆弱であること、外気や光線による影響を受けやすいことから、なかなか実物を展示する機会は無いのが実際です。しかし日本カメラ博物館で展示している「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」の背後に設置している「銀板写真のできるまで」という解説板には、本物のダゲレオタイプを展示しています。少し距離がある場所に展示しており、さすがに多少黒ずんではいて見えにくいとは思いますが画像は確認できます。「ダゲレオタイプ」という名称は知っていても実物を見たことがない方は、是非ともご覧いただければと思います。



日本カメラ博物館の「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」のうしろに展示している銀板写真(ダゲレオタイプ)の製作工程を紹介するパネルでは、人物が写った実物を使用している。

協力:日本カメラ博物館
https://www.jcii-cameramuseum.jp/
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井口留久寿(いのくちるくす) Inoctilux


本名は井口芳夫、1972(昭和47)年福岡市出身。日本大学芸術学部写真学科卒業後、財団法人日本写真機光学機器検査協会(現・日本カメラ財団)に就職し、同財団が運営する日本カメラ博物館の学芸員として勤務。カメラと時計の修理が趣味だが、その趣味をひと段落するため車を入手するも修理に追われ、資料と工具と部品が増えるばかり。

ウェブサイト:日本カメラ博物館
https://www.jcii-cameramuseum.jp/