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写器のたしなみ

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写器のたしなみ
日本カメラ博物館 学芸員の井口留久寿(いのくちるくす)=Inoctiluxが、国産、海外の歴史的に意義のあるカメラを紹介。個人的な話も少々。
公開日:2025/12/09

光の速度で見届けて 一眼レフカメラ

Photo & Text:井口留久寿 (いのくちるくす) Inoctilux

レンズから入ってきた光でピントや構図を確認できる「一眼レフ」はカメラの誕生以前から存在していた。というと奇異に感じるかもしれないが、これは1685(貞享2)年にドイツのヨハン・ツァーン(Johann Zahn)が著した“Oculus Artifactis Teledioptricus Sive Telescopium”(人工の眼、遠眼鏡や望遠鏡)や、1788(天明8)年に蘭学者の大槻玄沢が著した『蘭説弁惑』に登場する「写真鏡」(どんけるかあむる)のような「一眼レフ方式のカメラオブスクラ」が存在していたことを指している。


“ Oculus Artifactis Teledioptricus Sive Telescopium ” / 1685(貞享2)年


『蘭説弁惑』/1788(天明8)年


反射式小型カメラオブスクラ

そして1839(天保10)年に写真術が発表され、世界最初の市販カメラ「ジルー・ダゲレオタイプカメラ」のカメラ後部に装着する反射装置が準備されていたことで「一眼レフカメラ」に到達したとも、もう少し大きく「カメラは一眼レフから始まった」とも言えなくもないが、ボディ内に反射鏡を内蔵したイギリスのトーマス・サットン(Thomas Sutton)の1861(文久元)年の特許が一眼レフカメラの最初とされる。


反射鏡を装備したジルー・ダゲレオタイプカメラ


トーマス・サットンによる特許(英国特許2073号・1861年8月20日)

一眼レフカメラに必須の「画像を確認するためのミラーを移動させて撮影用の光路を確保する」というシャッターとミラーの連動について1900年代初頭にかけてニューマン&ガーディア(Newman&Gardia)やマリオン(Marion)などのイギリスの会社やアメリカのグラフレックス(Graflex)社が製造したフォーカルプレンシャッター式の乾板用一眼レフカメラで一応の結論を出し広く普及するとともに、この時代には長大な望遠レンズを装着したもの、明るいレンズを装着したもの、折りたたみ式など多様な一眼レフカメラが各国各社から発売され、最初の一眼レフカメラの隆盛期を迎えた。


ソホレフレックス


ソホレフレックス・トロピカル


RB グラフレックス






ゲルツフォールディングレフレックスの展開

1930年代になると小型カメラの流行に合わせ、ドイツのイハゲー(Ihagee)社のシュテーンベルゲン(Johan Steenbergen)他が1934(昭和9)年に特許を取得して1935(昭和10)年に発売された127フィルムを使用する「エキザクタ」は近代的な一眼レフカメラの最初の製品であり、その派生ともいえる1936(昭和11)年の「キネエキザクタ」と同時期の旧ソビエトのGOMZ(Государственный Оптико-Механический Завод=国営光学工場)から「スポルト」が発売されたことで35ミリフィルムを使用する一眼レフカメラが登場。このほか同時期にはフランツ・コッホマン(Franz Kochman)から「レフレックスコレレ」やクルト・ベンツィン(Curt Bentzin)から「プリマーフレックス」など120フィルムを使用して60×60ミリの画面を撮影する一眼レフカメラも発売され、この時代はロールフィルムを使用する一眼レフカメラにとって契機となった時期といえる。


エキザクタ

キネエキザクタ

スポルト


レフレックスコレレ


プリマーレフレックス

1943(昭和18)年頃にハンガリーのガンマ社でデュロビッツ(Dulovits Jenő Sándor)が中心となって開発した「デュフレックス」はポロミラー方式のアイレベル式ファインダー、金属製シャッター幕、バヨネットマウント、クイックリターンミラー、半自動絞りを装備しており、1949(昭和24)年にはツァイス・イコン(東側)から「コンタックスS」がペンタプリズムを装備して登場し、イタリアで「レクタフレックス」、スイスの「アルパ」、イギリスの「レイフレックス」など各国で一眼レフカメラが製造された。


デュフレックス


コンタックスS(C)



レクタフレックス

1950年代末からは距離計連動機から一眼レフカメラ製造に注力した日本から世界に向けて「ニコンF」、「トプコンREスーパー」、「アサヒペンタックスSP」、「キヤノンF-1」、「オリンパスOM-1」、「コンタックスRTS」、「コニカFS-1」、「ミノルタα7000」など各時代を代表する一眼レフカメラが、豊富な交換レンズやモータードライブなどの周辺機器と共に矢継ぎ早に販売される。


ニコンF


トプコンRE スーパー



ミノルタ α7000

同時期、東ドイツのペンタコン、西ドイツのツァイス・イコン、エルンスト・ライツ、ローライといった会社も健闘したが市場は日本製カメラに席巻される。その日本では「ペトリV6」や、「サンキュッパ」(=39,800円)の広告で人気を博した「リコーXR500」といった普及機、女優やアイドルを起用したコマーシャルが話題になるなどして、一眼レフカメラは幅広い層に受け入れられた。
スチルビデオカメラ、デジタルカメラに移行しても、とくにハイアマチュアやプロフェッショナルの分野では一眼レフカメラが主流だった。しかし一眼レフカメラよりも小型で軽量という利点が強調されたミラーレス機が登場。その当初こそミラーレス機は入門機的な位置付けだったが、2020年代になるとフルサイズ機も出そろったことで一眼レフカメラと主流を交代するようになった。これにより、トーマス・サットンのカメラ以来約160年継続した一眼レフカメラの歴史の転換期に私達は立ち会ったことになる。


キヤノン RC-701


ニコンD1


コンタックスN デジタル
 

【いのくちるくすから一言】

機構的に軍艦部に突出部があるペンタプリズム式一眼レフカメラは、その形状こそが「すごいカメラ」という印象を与えるものでした。デジタルカメラになってミラーレス機が主流になっても、その突出部はレンズ上部の真ん中で画面を確認するビューファインダーの位置として合理的に存在しており、そこに一眼レフカメラの面影を見ています。
そのミラーレス機も一部では多機能高性能化するにつれ大型化して重量が増し、むしろ一眼レフカメラの方が小型軽量な機種もあることには興味深いものがありますが、ファインダーについて「デジタルカメラの演算機能の向上と処理速度がいかに速くなっても光の速さには敵わない」と、とあるメーカーの技術者が語ってくれた言葉は一眼レフカメラ世代の私としては嬉しい告白でした。
そんな私が初めて眼にした一眼レフカメラは父の「ニコン F2フォトミック」で、普段は目にすることができない「ピントが合っていない世界」は実に新鮮でした。その経験もあって中学生になると誇張ではなく24時間365日「一眼レフカメラが欲しい」状態となり暇さえあれば「カメラのドイ」で新しいカタログを貰っては陳列されているカメラを触り、通学路にあるすべてのカメラ店はもちろん古道具屋や質屋にまで網を広げて、当時最も欲しかった「黒のニコンF」をやっと見つけはしたのですが、すんでのところで友人に先を越されてしまいました。
数年前のこと、その友人と「黒のニコンF」の話をしていると不具合があるとのこと。とはいえ簡単な整備で済みそうだったので修理の約束をしたのですが、次に帰省するまでの間に彼は唐突に他界してしまいました。その報を受けた日に「黒のニコンF」を発見。レンズも同じ5センチF2。まだ気持ち的に止めておいた方が…と思いながらも入手したのですが、やはり彼に見せられないのが悔しくて悲しくて仕方がありません。

 
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井口留久寿(いのくちるくす) Inoctilux


本名は井口芳夫、1972(昭和47)年福岡市出身。日本大学芸術学部写真学科卒業後、財団法人日本写真機光学機器検査協会(現・日本カメラ財団)に就職し、同財団が運営する日本カメラ博物館の学芸員として勤務。カメラと時計の修理が趣味だが、その趣味をひと段落するため車を入手するも修理に追われ、資料と工具と部品が増えるばかり。

ウェブサイト:日本カメラ博物館
https://www.jcii-cameramuseum.jp/