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南雲暁彦のThe Lensgraphy

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南雲暁彦のThe Lensgraphy
フォトグラファー 南雲暁彦が、様々なレンズを通して光と時間を見つめるフォトエッセイ
「僕にとって写真はそのままを記録するという事ではない。そこには個性的なレンズが介在し、自らの想いとともに目の前の事象を表現に変えていく。ここではそんなレンズ達を通して感じた表現の話をして行きたいと思う」

公開日:2026/01/19

Vol.33 「白の肖像」Canon 85mm F1.9

南雲暁彦

Leica SL3 +SIGMA ART 105mm F2.8 DG DN MACRO
2.5秒 F14  ISO100

1951年にSERENARの名前で登場し、その後同じ仕様でCANON LENSに名称変更されたライカスクリューマウントの大口径中望遠レンズだ。605gもあるフル真鍮製のボディーにクロームメッキが施されたずっしりと重いガラスと金属の塊で、ピントリングの感触にもかなりの重厚感がある。丁寧に扱われてきた個体なのか、ガタ一つない。
スペックは4群6枚のレンズ構成、最短撮影距離は1mと普通。細長い鏡筒は鏡面仕上げの面積が多く、握ると今の季節容赦なく手のひらに冷たさを伝えてきて、何かそういう冬の透明感が描写されるようなイメージを感じる。
大口径85mmというとポートレートレンズの代名詞で、とはいえ普段はそんなことはお構いなく人生流れに任せて使うのだが、今回は素直に人を撮ろうと思った。それもまた、心の流れということだ。

まずはカメラにつけてその世界観を見てみよう。



「街」

色のついた間接照明が一灯、暗い部屋の中で鈍く発光している。
そこでもギラギラと光るこのレンズをつけたM10-Pが描き出す世界を覗き込むと、どこかでみたような曖昧なSF映画の街になっていた。古臭い未来都市や、人の想像の範囲を出ない宇宙人、怪物、心のイメージが作る屈折した光。掴めそうで掴めない夢の中の風景のようだ。
大口径の中望遠オールドレンズは自分の陳腐な記憶や想像を抽出し、具現化してしまったようだ。レンズもフォトグラファーも本当に古臭いなと思う、まあ実際にそうなのだからしょうがない。

それにしても狭い世界観だ、こんな街に俺は生きていたのか。そう思うとなんとも言えない気持ちになった。
シャッターを切る動機など、気持ちがいいことばかりではないのだ。人生など楽しいことばかりではないということだ。


Leica M10-P + Canon 85mm F1.9 以下同
1/90秒 F1.9  ISO4000


1/18秒 F1.9  ISO200


1/60秒 F1.9  ISO500

F1.9という開放F値は実際にはF2とほとんど変わらない口径だと思うのだが1から始まるその値は心の持ちようを変えてしまい、暗闇の中でも戦える勇気を余計に付加してしまう。


1/60秒 F1.9  ISO8000


1/60秒 F2.8  ISO6400


1/60秒 F1.9  ISO8000


1/90秒 F2.8  ISO16000

いいから、もう寝かせてくれ。そう思ってカメラを置いた。遠くに見える高層ビルのイメージが瞼に焼きついたまま意識が落ちていく。

「だから明るいレンズは嫌なんだ。」

こんなつまらない事はしなくてもよかったのだが、心置きなく素直に透明なポートレートに向かうための禊のようにも感じた。


 

「演色」

白銀のレンズを握りしめた時に、撮る人のイメージは決まっていた。「白が似合う」漠然とだが、そうやってイメージは生まれてくる。
それでも少し写真の色をのせたところから初めてみようと考えていた。季節が変わる直前の、どちらともつかないような色。青なのか、黄色なのか。


1/60秒 F1.9  ISO2500

撮影は知り合いのギャラリーを借りて行う予定にしていた。その白い箱の中に入る前に、勿体ぶるように青色を重ねる。まだ硬い表情がプロローグを演じ、来るべき白い世界への期待を昂らせていく。


1/60秒 F1.9  ISO3200


1/60秒 F1.9  ISO1250

ギャラリーの扉の中は、外の青い世界から見ると黄色くみえた。人の目もカメラが作る色も、見方やセッティング一つでコロコロと変わる、その時の心持ちで、その時の色がついていく。


1/60秒 F2.8  ISO4000


そんな演色などがついて来られない、全てを包括した白い世界、透明な世界に行ってみよう。それが今日のイメージだ。

 

「白銀の隧道」

光が通るための銀色のトンネルのようなレンズだなと思う。20枚の絞り羽根がエッジのない優しい光道を作り、F1.9の口径が澱みなく目の前の世界をカメラに導く。開放での被写界深度は浅く、フォーカスには綺麗で優しい芯がある。それをしっかりと捉えるにはファインダーの性能が高く、重量バランスの良いSL2-Sがやはり適任だ。最近SL3 Reporterも手に入れたのだが、オールドレンズで人を撮るにはダイナミックレンジに優れたこちらの方が圧倒的に合っていると感じる。この組み合わせなら白い世界の温もりまで取り込めるはずだ。


Leica SL3 +SIGMA 105mm F2.8 DG DN MACRO Art 以下同
2.5秒 F8.0  ISO100


1/4秒 F2.8  ISO100

 

「透明という色」

去年、大学で写真を教えていた学生が今回の登場人物だ。当時の彼女の作品は親友のポートレートを撮影したもので、「親友」と言葉で言ってしまえば一言だが、それはこんなにも感情的で、豊かな時間が醸し出されるものだという、その瞬間が写っていた。
課題の内容を決める時に見せた、全く澱みのない「絶対撮りたい」「絶対いい作品になる」という意思が印象的だったのを覚えている。やはりそういう学生が僕のレンズの前に立つのだ。

撮影場所になる吉祥寺のギャラリーには、そのオーナーで僕の知り合いの作品が並んでいる。アマチュアでまだ経験の浅いフォトグラファーとは到底思えないほどの完成度、統一された手法が作り出すレベルの高い写真だ。これを見せたいというのも今回この場所を選んだ理由の一つになっている。本当は個展の会期を過ぎていたのだが、好意で残しておいてくれ、しかも開けてくれていた、彼には感謝の言葉もない。

そんな作品を見つめる顔が真剣見を帯びていく、さあ、この瞬間を待っていたのだ。


Leica SL2-S + Canon 85mm F1.9 以下同
1/80秒 F1.9  ISO800


1/125秒 F1.9  ISO800


1/80秒 F1.9  ISO800

ギャラリーには僕の著書も置いてくれていたので、撮影の箸休めにちょっと目を通してもらった。この連載がまとまった本だから、自分もこの物語の中に入り込むと思えばいい。

そんな一時を挟んで、立ち上がりまた作品に目を通す。

瞳がきらめき、そこに作品が映り込むのが見えた。ファインダーの中で僕は感嘆のため息をつく、この白い空間の中で全てがシンクロしていた、まるで薄いガラスの上に描かれた一枚の絵のような透明感だ。


1/100秒 F1.9  ISO1000

何か一枚フィルターをかけたような時の演出をかけてくるヨーロッパのレンズに比べ、そういう悪くいうと濁りみたいなものがこのレンズには全くない。真っ向勝負でレンズの性能を追い求めた結果なのか、耐久性が優れているのか、逆に一枚ベールを剥いだようなクリアさがある。それはただひたすら解像度が高いとか、コントラストが高いとかそういうことではなく、カメラやレンズといった被写体とフォトグラファーの間に挟まっているモノが消えていくようなクリアさだ。これは今の時代のカメラとの組み合わせで生まれた奇跡かもしれないし、ここにいた全ての存在が作り上げた奇跡でもあろう。

 

「名前」

和(なごみ)というのが彼女の名前だ、良い名前だと思う。今まで同じ名前の人に会ったことがなかったというのもあるが、これもレンズの前に立って欲しい存在として印象に残った理由の一つだろう。いつも穏やかで明るく、怒ったところなど見たことがない。

「自分の名前は、気に入っている?」と聞いてみた。
二つ返事で
「はい、だいすきです」
という。

小さい頃は男の子に「な、をとったらごみ、」って馬鹿にされて嫌でしたけど、と笑う。それが歌になっていたとかで、実際に歌ってくれた。
「そのころは本当に嫌でしたけど、今はとても好きな名前です。」と優しい笑顔を見せる。

なんだかそれだけで胸が熱くなってしまうが、そのように名前と人物像が一致していることで、単純にそういう人だというステレオタイプで見られることもあるのかなと、少し心配になったりもする。人の心はもっと複雑にできているはずだ、いろんな想いや思考があって、生きている。

そんなことを思いながら話していると少し違う表情が現れ始めた。


1/40秒 F1.9  ISO1600

僕に何が見えたかは言葉にはするまい。

これからも彼女の感性は刺激を受け、心は複雑になっていく。その中で研ぎ澄まされ、人として大きく魅力的になっていく。自分の名前が好きになっていったように、様々な事象を乗り越えていくのだろう。


 

「願い」

カメラを構えてこちらを見ている、見ているのは壊れたカメラのファインダー越しの風景ではなく、真っ直ぐに僕のレンズに向けられた瞳がこちらの心を覗いているように思えた。


1/100秒 F1.9  ISO1600

撮影を通して、言葉ではない会話がいくつかあったのだと思う。

最後にギャラリーに居合わせて友だちになった人達にも手伝ってもらい、僕が作りたい絵を作った。皆出会ってから数時間しか立っていないのに、和やかでとてもいい時間だった。彼女はやはりそういう雰囲気を作り出す存在なのだ。

そしてこれからもっと、深く自分の名前を愛せる人になっていくように思う。


1/320秒 F2.8  ISO3200

僕の願いは、この最後のワンカットに閉じ込めた。

ギャラリーの外はすっかり暗く、冬の空気が冷たく立ち込めている。
それでも皆の心は温かく、そしてこの日の出来事を忘れないだろう。

出演 岡村 和
協力 Photo-yell
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<プロフィール>


南雲 暁彦 Akihiko Nagumo
1970 年 神奈川県出身 幼少期をブラジル・サンパウロで育つ。
日本大学芸術学部写真学科卒、TOPPAN株式会社
クリエイティブ本部 クリエイティブコーディネート企画部所属
世界中300を超える都市での撮影実績を持ち、風景から人物、スチルライフとフィールドは選ばない。
近著「IDEA of Photography 撮影アイデアの極意」 APA会員 知的財産管理技能士
多摩美術大学統合デザイン学科・長岡造形大学デザイン学科非常勤講師


公式サイト
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<著書>

【新刊】ライカで紡ぐ一七の物語

フォトグラファー 南雲暁彦によるライカと銘玉レンズのフォトエッセイ

ライカで紡ぐ一七の物語
カメラファンの人気WEB連載「南雲暁彦のThe Lensgraphy」を再構成して書籍化。1950年代の伝説のオールドレンズから最新型のレンズまで17本の銘玉で捉えた珠玉の写真作品と共に、レンズが導くストーリーを綴る。
ライカで紡ぐ一七の物語」2025年10月16日発売



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