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銀塩手帖

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銀塩手帖
フィルム、銀塩写真に関する情報を記録していきます。
公開日:2013/06/05

レンズを蘇らせる技〜山崎光学写真レンズ研究所〜

photo & text 大浦タケシ

山崎光学写真レンズ研究所代表 山崎和夫氏 
山崎氏の手にかかれば、クモリやカビ、キズのあるレンズも新品のように甦る。

クモリやカビ、キズ、バルサム切れといったものは、レンズにとって天敵のようなもの。軽微なものであれば写りに影響することは少なく、一般的な修理や清掃で対応できることもないわけではないが、ひどくなると致命的なダメージを与える。今回、そのような通常の修理では手に負えなくなったレンズを見事に復活させる魔法のようなファクトリーがあると聞き伺ってみた。

「山崎光学写真レンズ研究所」は中央線大久保駅から徒歩10分ほどの住宅街のなかにある。出迎えてくれたのは、オーナーの山崎和夫さん、御年77歳だ。矍鑠とされたいかにも職人らしい風貌である。まずは業務についてお話しを伺った。
「レンズの研磨とコーティングが私どもの業務です。もちろんそれに付随する組み立てや検査も含まれます」


研磨とコーティングを終え、組み上がったレンズをチェックする山崎さん。オーダーはライカのレンズが多いという。

作業に入る前のレンズ。手間のシルバーの鏡筒はズノー50mmF1.1(後期型)

メーカーから修理専門会社へ

現在、ファクトリーは息子さんの二人で切り盛りしている。そもそもこのお仕事は山崎さんのお父上から引き継いだものであるという。
「私ども『山崎光学写真レンズ研究所』は、コンゴーレンズを作っていた『山崎光学研究所』から、戦前に独立し立ち上げたメーカーです。タイヨーという名の大判用レンズをつくっていたのですが、その後修理専門となっていきました。私もこの仕事に就いて57年になります」
なお、コンゴーレンズの山崎光学研究所は山崎さんの叔父にあたる方がつくった会社だが、同社は2013年4月末にレンズの製造および営業を終了している。

山崎さんのいう修理とは、もちろんレンズの研磨のことを指す。レンズを研磨すれば、クモリやカビ、キズといったものをキレイに取り去ることができる。さらにレンズの貼り合わせも作業上必要となるため、バルサム切れも解消できる。しかし、疑問に思えるのが研磨後のピントなど“レンズとしての精度”である。そのことに関して山崎さんは次のように説明してくれた。



作業場全体を見る。ろくろ以外機械らしい機械が見あたらず、シンプルな作業場だ。

トレーランスの範囲内に収める

「研磨するということはメーカーによって完成されたものをいじるということで、本来ならばやってはいけないものといえます。ところが、レンズは設計値に対して必ず許容誤差=トレーランスというものがあります。これはメーカーが製造時に許容している誤差です。例えば設計値のレンズの厚さが5mmの場合、実際に完成されたサイズは必ずしも5mmではありませんが、4.75mmから5.25mmまでの±5/100mmぐらいのトレーランスが認められています。ですから、完成したレンズを研磨する場合、その仕上がりがトレーランスのなかに入っていればよいのです。そうすれば、製品の精度や質を落とすことなく、ちゃんと元通りのものができることになるのです」

つまり、許容誤差内である5/100mm内の研磨であれば、性能を落とさずにすむということである。これが研磨修理の成り立つ理由となっている。では5/100mm以上の研磨を必要とする深い傷のときはどうか? また研磨すると描写に影響はあるのだろうか?
「深い傷でトレーランスを超えるような研磨の場合は、組み立て時にピントの調整が必要となります。ただ、そのようなキズは滅多にありませんし、5/100mm以内に余裕で収まることがほとんどですね。またトレーランスの範囲内の研磨では、描写が変わってしまうこともありません。レンズの持つ本来の描写が復活できるといってよいと思います」
そうなると今度気になるのが、研磨のあとの組み立て精度である。許容誤差が研磨によって狭まるわけで、より精度が求められるように思えるが。
「おっしゃる通りです。組み立ての精度はより高いものを求められます。分解したレンズを組上げる行程はもっとも神経を使うため、毎回胃が痛くなるくらい緊張します」という。そして、もうひとつ気になるのがコーティング。レンズ表面を研磨するので、当然コーティングも削られてしまう。
「研磨が済んだら再コーティングを全レンズ行います。コーティングはモノコートとなります。古いレンズはモノコートがほとんどですし、メーカーの純正と同等ですので安心していただきたいと思います」


レンズ研磨の現場

研磨に入る前にレンズを暖めるための火鉢。

四角い枠の中央はろくろになっており、型を置き研磨を行う。作業はすべて手作業だ。

研磨で使用する型。このなかにレンズを入れ、回転させながら研いていく。
型にはそれぞれレンズ名などが記されている。ほとんどは前玉用だが、必要となればそのレンズに合った型をつくり対応する。

全てのレンズのカーブに対して個別の型が必要となるため、膨大な数の型が必要。専用の棚にはずらりと型が並ぶ。知っているレンズや所有しているレンズがあると思わず顔がほころんでしまう。

レンズをコーティングする釜

修理可能なレンズ

山崎さんに修理が完了したばかりのレンズを見せていただいた。手に取ってレンズ前玉をのぞくとクモリやカビ、キズなど一切なく新品のよう。いかにもスカッとヌケのよい写真が撮れそうである。しかしながら、ファクトリーに持ち込まれたときは、レンズを通して向こう側を見ることができないくらい曇り、キズもひどかったという。ところで研磨できないレンズはあるのだろうか?

「修理に対応できるのは、基本的にMFの単焦点レンズとなります。AFレンズやズームレンズは受付しておりません。また非球面レンズも研磨出来ません。修理費用は一般的な35mm用レンズで20,000円から25,000円ぐらいとなります。もちろん研磨、コーティング、組み立て、検査の全て込みの値段です。完成までには4週間いただくようにしております」とのことである。現在、日本をはじめ海外からも研磨の依頼が舞い込む。というのも精度の高い研磨修理ができるのは、おそらく世界でも山崎光学レンズ研究所だけだからだ。

「私どもがなぜ現代まで生き残ったかというと、手で研磨するからです。今は非常に高性能な自動研磨機が普及していますが、それは大量生産向きにつくられており、レンズ1つ1つの個別のコンディションに合わせるような機械ではありません。また、手作業による研磨の技術も自動研磨機が浸透したことで継承されてきていないのです。
さらに、私は何でもレンズと名の付くものができる訓練を昔から受けてきています。もともとレンズメーカーだったお陰で、設計、組立、コーティングなど、製造に関するすべて工程の知識があります。研磨はもとより、バルサム合わせもできますし、組み立てた後の作動の調子を出すこともできます」


職人の手



山崎さんの左手人指し指の先が薬指側に少し曲がっている。こうなったのも50年以上レンズを磨き続けてきた結果なのである。今回、山崎さんにお話を伺っていると、度々“生き返る”という言葉を耳にした。たしかに研磨をはじめとする一連の作業は“朽ち果てようしているレンズに命を再び吹き込むもの”といえる。山崎光学写真レンズ研究所のファクトリーは民家の一室にある小規模なものであるが、それは我々カメラ愛好家にとって大切なレンズを生き返らせる最後の砦といえる。


<会社概要>

山崎光学写真レンズ研究所

〒169-0074 東京都新宿区北新宿4-4-9
TEL&FAX:03-3362-1809
営業時間:月〜土 9:00-17:00
休日:日・祝日
業務内容:マニュアルフォーカスレンズの修理、研磨、メンテナンス。
*来訪の際には必ず事前に連絡のこと




【2013年6月5日】コンゴーレンズの山崎光学研究所について、文章を訂正いたしました。
 著者プロフィール
  大浦タケシ(おおうら・たけし)

宮崎県都城市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。紆余曲折した後、フリーカメラマンとなり、カメラ誌、Webマガジン等でカメラおよび写真に関する記事を執筆する。中古カメラ店巡りは大切な日課となっており、”一期一会”と称して衝動買いした中古カメラは数知れず。この企画を機に、さらに拍車がかかる模様。2006年よりカメラグランプリ選考委員。