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さようなら東京

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さようなら東京
2度目の五輪を控え、東京は変革のときを迎えている。とりわけ大きく姿を変えつつあるのが、いわゆる下町といわれる23区の東側だ。懐かしさと新しさが交差するエリアを、写真家・鹿野貴司が記録する。
公開日:2019/04/27

【其の七】さようなら平成「鐘ヶ淵〜京島あたり」

photo & text 鹿野貴司
 

世の中が大きく変わった30年間

4月30日に「平成」が終わり、5月1日から「令和」が始まる。と書こうとしたところ、僕のMacBookでは「わ」を変換すると「(笑)」となることが判明。「れいわ」を変換すると「令(笑)」と表示されてしまう。いや笑っている場合ではない。

平成最後の日、そして令和最初の日はどこで何を撮ろうか、かなりワクワクしている。しかし昭和から平成に変わるときはそうもいかなかった。まだ中学3年生と幼かったこともあるが、天皇陛下崩御による突然の代替わりで、世の中も暗い空気だった記憶がある。テレビの向こうから「新しい元号は『平成』であります」といきなり謎のフレーズを提示され、ヘイセイ?と猛烈に違和感を覚えたのもはっきりと覚えている。

しかしその平成が終わろうとする今、この30年と4ヶ月を振り返ると時代と生活は大きく変わった。昭和が平成に変わったときは一般人にはまったく無縁の存在だった、インターネット・コンピュータ・携帯電話が日本だけでなく地球全体を変えた。世界史に平成というカテゴリーはないだろうが、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが人々の暮らしを変えた時代としてこの30年は記録されるだろう。

そして何よりカメラと写真も大きく変わった。MFがAFに、さらにフィルムがデジタルに置き換わった。こんな急速な進化を、平成になったとき誰が予想しただろうか。しかも僕自身が本格的に写真を始めたのが、まさに平成元年。高校へ入学した年だった。平成イコール自分の写真歴と考えると感慨深く、そこで今回は通っていた高校があった鐘ヶ淵(墨田区墨田)から、八広、京島まで、高校時代を思い出しながら歩いてみた。
 

リコーGR III
F5.6 1/640 ISO100 WB:オート

見事な大根の二丁差し。お婆さんの背中にロックを感じた。
 

リコーGR III
F5.6 1/640 ISO100 WB:オート

鐘ヶ淵の廃工場にて。
 

リコーGR III
F8 1/500 ISO200 WB:オート

ポートレート写真展。いや選挙ポスターを見ると、職業柄写真のクオリティーに目がいってしまう。
 

リコーGR III
F8 1/400 ISO200 WB:オート

GRの28mm相当という画角は、ひたすら狭い路地を巡るのにちょうどよかった。ちなみにこの日の歩行距離は約20km。
 

リコーGR III
F6.3 1/500 ISO100 WB:オート

墨田区には隣家が更地になり、期せずして側面が露出している家屋が多い。そのかたちに無意識の美を感じる。

思えば昭和の終わり、中学生の頃に人生で初めて買ったカメラは、ピント・絞り・シャッター速度固定、3000円の怪しげなコンパクトカメラだった。フィルムを5本くらい通すと壊れ、買い直したけれどやっぱり5本くらいで壊れた。その後、中古カメラ市で5000円くらいのキヤノネットG-III17を買ったのだが、クモリレンズの向こうは霧の街。今ならカメラ女子が喜びそうな写りだが、なにせ写したいものが写らないのだ。だから平成元年3月、なんとか志望する高校に合格し、バブルで羽振りのよかった大工の叔父さんから5万円の入学祝をもらうと、真っ先にまた中古カメラ市へ向かった。選んだのは念願の一眼レフ、キヤノンAE-1プログラムと、クモリのないタムロン35-70mmF3.5。キヤノンからは2年前にEOS 620・650が発売されていたものの、New F-1やT90はまだ現行機種だった。EFマウントはまだ未知数なところがあり、そこは現在におけるEFマウントとRFマウントの関係にも似ているが、いずれにせよ5万円で買えるEOSはなく、本当は欲しかったニコンも軒並み予算オーバー。消去法でAE-1プログラムとなった。

消去法とはいえ初の一眼レフにウキウキな僕は、高校に入るなり暗室のドアを叩き、写真部に入部。あっという間に写真にのめり込んだ。さらにレンズを買い揃えるべく、夏休みは郵便局で人生初バイト。九十九里にある前出の叔父さんの工務店にも手伝いに行った。そこにもちろんAE-1プログラムを持参したのだが、叔父さんは「なんでそんな古臭いカメラ使ってるだョ。撮るのがおっせえだョ。今ピントってのは自動でピッと合うだョ」。叔父さんは僕を連れて近所のカメラ屋さんへ向かい、有無を言わさずAE-1プログラムを下取りに出し、いくらかの差額を払って発売されたばかりのキヤノンEOS 630QDとEF35-105mmF3.5-4.5を買ってくれた。本当はニコンF-801が欲しかったのだが、叔父さんからは「高けえだョ」と却下され、またもや消去法でEOS 630QDになった記憶がある。AE-1プログラムに比べるとオモチャ感は否めなかったが、しばらく使うとそんなことはどうでもよく、次に買うレンズのことで頭がいっぱいになっていた。

夏休みが明けて2学期を迎えると、僕はさらにバイト道へ邁進。望遠ズーム、広角ズーム、単焦点とレンズを揃えていくのだが、だいぶ早い段階で2台目のEOSも購入していた。発売時期は古かったものの、当時のEOSで最上位機種だったEOS 620だ。デザインはEOS 630QDとそっくりだが、ボディの塗装とシャッターの感触は上質だった。今モノクロフィルムは1本1000円近くするが、当時は200〜300円台で買えたし、学校の暗室で現像できたので、湯水のようにフィルムを使った。当時高校生が撮る被写体といえばアイドルか鉄道というのが相場だったが、どういうわけか撮るのは東京の町ばかりだった。
 

たぶんキヤノンEOS 620 + EF35-105mmF3.5-4.5
フジ・ネオパン400プレスト

高校生の頃に撮影した京島の四叉路。鋭角に立つ左側の家は独特な窓を持ち、京島を撮影した写真に多く登場する。
 

リコーGR III
F5.6 1/500 ISO200 WB:オート

上の写真の右側から撮った、現在の鋭角の様子。撮影していたら棟続きにある魚屋の若主人が声を掛けてきて、「この家、あと半年くらいで壊しちゃうんです。どんどん撮ってってください」。
 

リコーGR III
F5.6 1/320 ISO100 WB:オート

子供の頃、ポスターを描くのが得意で、看板職人になりたいと思った時期があった。大人になってから自分のイベントなどで看板を作ったが、写真より向いているかもしれない。生まれるのが半世紀昔だったらなぁ。
 

リコーGR III
F8 1/500 ISO200 WB:オート

京島にはこのような街並みがかろうじて残っている。いつまで残ってくれるのか、祈るような気分でもある。
 

最新電子カメラ、この手に再び

つい先日、そのEOS 620とEF35-105mmF3.5-4.5が、某中古店のジャンクコーナーに転がっているのを見つけた。シャッター幕が傷んでいるため1000円。たぶん問題なく使えるし、最悪レンズだけでも使えればいいやと思って買ったのだが、試し撮りをすると問題なく写った。昭和の終わりから平成のあたまにかけては、今のフルサイズミラーレスみたいな流れでAF一眼レフ市場が熱かったが、とりわけモーターをレンズに組み込み、唯一の完全電子マウントだったキヤノンEOSは、今のデジタルカメラよりもデジタルな空気を感じた。ボタン+ダイヤルで液晶表示という操作系も、写真を始めたばかりの高校生には明るい未来があるように感じられた。

そしてAFとともに写真の歴史を変えたといっても過言ではないのが「フジクロームベルビア」だ。富士フイルムのデジタルカメラを使っている人は、設定項目のひとつとしてご存知かと思うが、もともとは平成2(1990)年に発売されたISO50のリバーサルフィルムだ。僕自身はフィルムといえばモノクロが多かったのだが、ライフワークにしている浅草三社祭などはデジタルで撮る以前はずっとベルビアを使っていた。僕に限らず多くの写真家がベルビアを愛しただろうし、ベルビアによって生まれた表現や作品も多いと思う。

そんなベルビアの期限切れを数年前キッチンの奥で見つけ、クロスプロセスでときどき遊んでいたのだが、今回EOS 620に詰めてみた。製造されたのがたぶん10年くらい前で、現像したら色味がサイケなほど真っ赤だったのだが、Photoshopでなんとか見られるまで補正できた。そうそう、Photoshopも平成の写真史を語るうえで避けて通れぬ存在だ。僕が初めて使ったのは大学時代、バージョンは5.5だった。マシンは細かい型番は忘れたがマッキントッシュPerforma。あのときも未来を感じたなぁ。
 

キヤノンEOS 620 + EF35-105mmF3.5-4.5
フジクロームベルビア

東向島から京島にかけての明治通り沿いには、ところどころ長屋が残っている。このあたりは東京大空襲でも難を逃れた家が多かった。
 

キヤノンEOS 620 + EF35-105mmF3.5-4.5
フジクロームベルビア

鐘ヶ淵の路地裏に潜む、正義の味方。
 

キヤノンEOS 620 + EF35-105mmF3.5-4.5
フジクロームベルビア

レンズはAF時にジーコジーコとモーターが唸る、いわゆる“ジーコレンズ”。描写には正直期待していなかったのだが、思いのほかよく写る。今度デジタルで試してみようかな。

EOS 620+ベルビアとともに、デジタルカメラも2台持っていった。ひとつは昭和27(1952)年製のWニッコールC3.5cmF2.5を着けたソニーα7R III。最近はマイブームがやや落ち着いたが、ソニーα7 IIを購入してからオールドレンズにハマり、安いものや珍しいものをあれこれ買った。オールドレンズというとボケを追い求める人が多いが、僕は街角のスナップを撮るので、好きなのは「よく写るけど、どこかクセのあるレンズ」。現代のレンズはきれいに写りすぎて、フィルムから紙焼きしたときのようなノイズや温もり、それらが生み出す奥行きがないのが物足りなかった。それで作品はハッセルブラッドとネガフィルムで撮ったりもしたのだが、オールドレンズの方がより自分のイメージに近かったのだ。今回選んだニッコールはもうすぐ古希とは思えないほど解像力が高く、一方で今どきのレンズにはない渋みもある。

そしてもうひとつは、平成も残り1か月ちょっとというタイミングで発売されたリコーGR III。平成初頭を彩ったEOS 620がフィルムカメラでありながらデジタルを感じさせたのに対し、GR IIIはデジタルカメラでありながらシンプルでアナログな手触りを残している。いや残しているというより、デジタル特有の贅肉を削り上げているのだろう。結果的に3台のカメラを持ち歩きながら、ほとんどはGR IIIで撮影していた。
 

今回使った3台のカメラ。CAMERA fanという媒体での連載なのに、これまで一切カメラの話をせず、そこを心配されたり不思議に思われたりした。そこにあまり深い理由はなく、ただ思うがままに書いた結果です。
 

リコーGR III
F2.8 1/100 ISO200 WB:オート

京島のキラキラ橘商店街にて。店じまいも目立つ中、ひときわ活気があったのはレディースファッションのお店だった。
 

リコーGR III
F8 1/250 ISO200 WB:オート

つい昭和の面影を探してしまうのだが、令和になると平成の面影を探すようになるのだろうか。
 

ソニーα7R III + WニッコールC3.5cmF2.5
F4 1/500 ISO100 WB:オート

キラキラ橘商店街の象徴的存在だった、大正元(1912)年創業のハト屋パン店。店じまいをして久しいが、看板や建物はそのまま残っている。あのコッペパン、誰か復活させてくれないだろうか。
 

ソニーα7R III + WニッコールC3.5cmF2.5
F8 1/100 ISO100 WB:オート

地盤が緩い東京の東側では、時折明らかに傾いている家屋がある。僕がこれまで見た中でもっとも傾いているのがこの工場。ちょっと心配になるが、まだ現役のようだった。
 

“下町の長城”に平成の苦難を想う

京島は奇跡的に戦災を免れ、僕が高校生の頃は木造家屋や長屋が連なっていた。今も東京随一の昭和レトロな町として知られるが、阪神大震災以降は建て替えや再開発が進み、だいぶ様子も変わってしまった。何よりその町を見下ろすように世界一高い塔が建てられるだなんて、コダクロームのフィルムがなくなること以上に想像していなかった。

むしろ変わっていなかったのは鐘ヶ淵だった。其の五・墨田区東向島でも少し触れたが明治22(1889)年、この地で鐘淵紡績が操業を開始。後に社名はカネボウとなり、昭和44(1969)年まで巨大な東京工場が存在していた。迷路のように入り組んだ路地はたぶんその頃と変わらず、木造家屋や町工場も驚くほどたくさん残っていた。

母校は第二次ベビーブーム限定の増設校舎で、だいぶ前に統廃合で更地になった。今回数年ぶりに様子を見に行ったが、相変わらず草原が広がっていた。校舎があったのは都営白鬚東アパートの脇なのだが、この団地はまるで万里の長城のごとく、隅田川東岸に沿って南北に約1.2kmも連なる。関東大震災では火の手に追われ、隅田川に飛び込んだ犠牲者が1万人いたという。その教訓から計画され、1970年代後半から80年代前半にかけて竣工した。団地の東側に広がる住宅密集地がもし大火に見舞われたら、ここを防火壁にして10万人近い住民を西側に避難させるという。平成は幾多の天災に見舞われ、日本人の暮らしや意識を大きく変えた。令和は平穏な日々が続き、願わくば団地がグレートファイアウォールとならずに済むことを祈るばかりだ。
 

リコーGR III
F5.6 1/800 ISO200 WB:オート

白鬚東アパート。手前の草原は僕の通っていた高校の跡だ。立ち入り禁止になっているが、何かイベントとかできないだろうか。
 

リコーGR III
F4.5 1/2500 ISO200 WB:オート

公園で見かけた防火用の貯水タンク。かっこいい意匠だけど「ATR」ってなんだろう。
 

リコーGR III
F6.3 1/160 ISO200 WB:オート

京島で僕がもっとも美しいと思う長屋。今は4軒が棟続きだが、その昔はもっと長かったらしい。
 

リコーGR III
F5.6 1/640 ISO200 WB:オート

その京島では阪神大震災以降、再開発が進められている。もう20年以上経つわけだが、進んでいるような進んでいないような。
 

リコーGR III
F2.8 1/1000 ISO200 WB:オート

廃品回収の軽トラが通り過ぎていったのだが、荷台には立派な大黒天が。満面の笑みがどこか切なく見えた。
 

リコーGR III
F5.6 1/1000 ISO200 WB:オート

スカイツリーは下町の風景を大きく変えた。令和にはどんな変化や未来が待っているのだろうか。
 

今回の町「鐘ヶ淵〜京島」




 
鹿野貴司(しかの たかし)

1974年東京都生まれ。多摩美術大学映像コース卒業。さまざまな職業を経て、フリーの写真家に。広告や雑誌の撮影を手掛けるほか、ドキュメンタリー作品を制作している。日本大学芸術学部写真学科や埼玉県立芸術総合高等学校で非常勤講師も務める。
写真集『日本一小さな町の写真館 山梨県早川町』(平凡社)ほか。

ウェブサイト:http://www.tokyo-03.jp/
Twitter:@ShikanoTakashi