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あるカメラマンのアーカイブ〜丹野清志の記憶の断片〜

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あるカメラマンのアーカイブ〜丹野清志の記憶の断片〜
カメラマン 丹野清志。昭和19年(1944年)に生まれ、平成、令和の時代を通り過ぎ、60余年に渡って日本を撮り続けてきた。一人のカメラマンの小さな“記憶の断片”といえる写真とともにタイムスリップし、その時、その場所で出逢った物語を今の視点で見つめる。
公開日:2025/11/25

第11回 1973年・1982年「鬼無里村」

Photo & Text 丹野清志

1973年5月撮影。地すべりが起きた斜面。


1973年、地すべりがあった

1973年4月18日、長野県上水内郡鬼無里村(きなさむら)の飯縄山の山腹で地すべりが発生した。泥流は、宮沢川と和奈出沢の2つの沢に沿って、幅60〜200メートル、全長2キロメートルにわたって斜面を流れ落ちた。鬼無里村は行ってみたいところだったので、テレビのニュース画面に見入りました。幸い地すべりが起きた場所はほとんどが休耕地で、人への被害がなく農作物の被害もなかったということにほっとして、鬼無里村に行くことを決めたのでした。

5月。地すべりが起きた現場へ行って見ると、山の斜面の土がごっそりとえぐられていて、土砂が流れ落ちた場所には根っこごと剥ぎ取られた大木が重なりあっていました。自然災害のすごさを見せつけられて茫然としたのですが、気持ちが落ち着いたところで「地すべりの現場写真」を写します。職業カメラマンというのは激しい被写体に向き合うと、“より迫力あるシーン”を狙ってカメラアングルを変えて「現場」をあれこれ撮影するものですが、そういうふうにとらえた写真はどこかうさんくさいと思っている私は、思い入れ抜きで「記録」として写しとろうとカメラを構え直したのでした。それからまる3日鬼無里村に滞在したのですが、地すべりに関する写真は初日に写した現場写真だけで、写した写真のほとんどは、田植をしていた女性たちや乳搾りをしていた夫婦や山道で出会った人など、村の人たちのふだんの様子でした。











鬼無里村は長野県最北端にあり、日本百景のひとつ裾花峡の裾花川に沿って山あいに集落が点在していて、中心地の平たんな町地区のほかは山間地で、総面積135.64平方キロメートルの84パーセントが山林原野です。1981年鬼無里村村勢要覧によると、気候は1月の平均気温が−3.2度、8月は24.4度と内陸型気候で、1年の3分の1が冬の季節だそうです。明治22年に日影村と鬼無里村が合併し、「鬼無里日影村」と呼ばれた後、1955年の町村合併法により、日下野が編入して鬼無里村が発足。現在は、2005年平成の大合併により長野市に合併され長野市鬼無里地区となりました。昔は6000人もいたという鬼無里村の人口は、1981年には3350人、合併時には2000人ほどになり、現在はその半数近くに減少しているようです。村の木はブナ、村の花はミズバショウ。村政要覧に『美しい自然とロマンあふれる秘境』『生かそう、自然の豊かな恵みを』とあり、鬼無里観光協会の奥裾花キャンプ場案内チラシには『奥裾花渓谷の清流、ブナ林の原生林と純白な水芭蕉の花、そして鬼女紅葉の伝説を秘めた秘境鬼無里は清涼な大自然の中、キャンピングの別天地です』、観光立村を目指して1983年「日本の自然百選」に指定されました。


1973年撮影。地すべりが起きなかった棚田。


1982年、鬼無里村再訪

1973年。鬼無里村の山道を歩いていて向こうから歩いてくる老人にカメラを向け、近づいてきたところで「こんにちは」と挨拶してまた一枚写し、地すべりの時の話などしていたら「ちょっとうちへ寄っていきなさいよ」と誘われて老人の家へ着いて行き、お茶をいただいきながら村の暮らしのことなど聞いたのでした。1982年、その時撮影した写真を届けようと老人の家を探して訪ね、玄関に出てきた人に写真を見せると「これは父です」と言い、「東京で印刷関係の仕事をしていたのですが、父が亡くなって鬼無里に戻ってきたのです」と言うのでした。写真を遺影の隣に並べ、9年前と同じ部屋でビールをいただきながらしばらく話し込むにことになりました。ほろ酔い状態で山道をふらふら歩いて夕方宿に着いた時は、すっかり酔いがまわっていたのでした。

9年前は「地すべりが起きた村」という関心事で見ていましたから、村の景観をじっくりと観察することなど考えもしませんでした。その後いくつかの山村の村を歩いて峠などから集落のある風景を眺めてはいましたが、それは旅の途中の、観光客が眺める景色という感じでした。今回の鬼無里村再訪の目的は、中山間地、里山と呼ばれている村の、地形、景観を観察記録することにありました。森、樹木、畑、川、そして山間にまとまってある集落、山肌に点在する家・・・。それら景観を観察記録するのであれば鮮明に写しとりたい。より克明に記録するなら大型カメラで撮るのがベストですが、大型カメラかついで山歩きする体力はないし、のらりくらりの町歩き派の私には似合わないので、街歩きに時々使用していた中判カメラで撮ることにしました。思い込みを排し、解説も不要、景観の眺めを写しとることだけの撮影として見るロクロク判の真四角フレームは、視線が被写体の中心部に集中することもあって、観察者の目になったのでした。


























昭和初期に800戸もあったという鬼無里村の専業農家は1980年、104戸。主力農産物といえば葉タバコで、村を歩くと棚田とともに至る所に葉タバコ畑があり、収穫量は74トンで、販売額はコメの2倍です。昔の山間地では葉タバコの栽培が至る所で行われていましたが、1970年をピークに生産量は減少し、現在は山間地の限られた地域でしか栽培風景を見ることがなくなりました。


鬼無里村の鬼女伝説

地名には、由来があります。古くからの伝説から生まれた地名が多いのですが、伝説は伝わっいく中でいろんな話が加わったり作り変えられたりするもので、地名の由来は「諸説あり」というケースが多いものです。「鬼無里」という村の名の由来にも数多くの伝説があるようで、1981年の村勢要覧では2説が紹介されていて、1つは「日本書紀」巻29に基づく話。今から1300年ほど前の昔、天武天皇がこの地に都を移そうとしたところ、鬼どもが一夜にして山(一夜山)を築き邪魔をしたので、鬼退治をした。それから後この地を鬼のいない里と呼ぶようになった。2つ目は、延暦年間、京都より流された官女紅葉の話。都に擬して東京(ひがしきょう)、西京(にしきょう)と呼ぶ地を作った紅葉はきわめて悪事をなす鬼女であった。思い余った将軍平惟茂は紅葉を征伐したことから「鬼無里」と呼ぶようになった。村政要覧によると、どちらも「鬼のいない平和な村」、一光三尊阿弥陀如来を本尊とする善光寺の西に位置することで、仏教での西方極楽浄土なのだということです。












使用したカメラ


ゼンザブロニカEC ニッコール75ミリF2.8・ニッコール50ミリ F2.8、ゼンザノン150ミリ F3.5
 

1982年のできごと

日航機福岡発羽田行、逆噴射で墜落。台風10号渥美半島上陸、本州横断。ホテルニュージャパン火災33人死亡。ネアカ、ネクラ流行。CM、「色つきの女でいてくれよ」コーセー。「いけないルージュマジック」「夏ダカラこうなった」資生堂。「おいしい生活」西武。「おしりだって洗ってほしい」 TOTO。歌謡、サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」。松田聖子「赤いスイートピー」。薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」。あみん『待つわ』。岩崎宏美「聖母たちのララバイ」。映画、深作欣二監督「蒲田行進曲」。柳町光男監督「さらば愛しき大地」。小川伸介監督「ニッポン古屋敷村」。大林信彦監督「転校生」。S・スピルバーグ監督「E.T」。アンジェイ・ワイダ監督「鉄の男」。フランソワ・トリュフォー監督「終電車」。小説、唐十郎「佐川君からの手紙」。丸谷才一「裏声で歌へ君が代」。穂積隆信「積み木くずし」。森村誠一「悪魔の飽食」。鈴木健二「気くばりのすすめ」。渡辺淳一「化粧」。写真、森山大道「犬の記憶」「光と影」。内藤正敏「出羽三山」。
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丹野 清志(たんの・きよし)

1944年生まれ。東京写真短期大学卒。写真家。エッセイスト。1960年代より日本列島各地へ旅を続け、雑誌、単行本、写真集で発表している。写真展「死に絶える都市」「炭鉱(ヤマ)へのまなざし常磐炭鉱と美術」展参加「地方都市」「1963炭鉱住宅」「東京1969-1990」「1963年夏小野田炭鉱」「1983余目の四季」。

<主な写真集、著書>
「村の記憶」「ササニシキヤング」「カラシの木」「日本列島ひと紀行」(技術と人間)
「おれたちのカントリーライフ」(草風館)
「路地の向こうに」「1969-1993東京・日本」(ナツメ社)
「農村から」(創森社)
「日本列島写真旅」(ラトルズ)
「1963炭鉱住宅」「1978庄内平野」(グラフィカ)
「五感で味わう野菜」「伝統野菜で旬を食べる」(毎日新聞社)
「海風が良い野菜を育てる」(彩流社)
「海の記憶 70年代、日本の海」(緑風出版)
「リンゴを食べる教科書」(ナツメ社)など。

写真関係書
「気ままに、デジタルモノクロ写真入門」「シャッターチャンスはほろ酔い気分」「散歩写真入門」(ナツメ社)など多数。

主な著書(玄光社)

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